





とうとう私も今年で50歳になりました。 生まれてから半世紀も過ぎてしまいました。 子供の頃は自分が
本当に50歳になるなんて考えられませんでしたが、いつの間にか年を重ねてこの年になりました。
全体の同窓会は10年前から5年ごとに開催されています。 前回、初めて私が司会を行ったのですが、また今回も司会をやることになりました。 前回は一次会と二次会の司会をして、みんなと話す時間や、自分の席で食事をする時間もなく、結構疲れたので今回は一次会のみで引き受けました。 それなのに今回は一次会を一時間延長して二次会を含めての結局3時間の同窓会の司会をやることになりました。
私の学年は丙午(ひのえうま)の年で他の学年に比べてひとクラス少ない全部で7クラスです。 同窓会は桐生のプリオパレスで夕方6時からのスタートですがクラスの幹事もしているので4時に会場入りして準備をしました。 持ち込みをしたエレクトーンを組み立てたり、生演奏で校歌を歌うので演奏者、指揮者、照明係との打ち合わせや、本番であまり緊張しないようにマイクを使って最初のフレーズの声出しやマイクを使っての言い回しの修正や練習をして準備をしました。
スタート30分前ぐらいから会場が賑わってきて懐かしい顔ぶれが集まってきます。嬉しくて話をするのですが司会のことが気になって話には集中出来ませんでした。15分前から中学生時代の写真と前々回と前回の同窓会の写真に中学生時代流行った音楽と合わせてスライドショーを始め徐々に盛り上げていきました。
時間になり会場の明かりを落としていき、みんなが席に着き落ち着いたところで、「これより昭和59年度卒大間々中学校同窓会を開催します」。と ちょっと固めに始まりました。 先ずは総幹事の方から挨拶をいただき、前回は終わりの方で校歌斉唱したのですが、今回は酔う前にとい意見が多かったのでみんなで校歌斉唱しました。 思った以上にみなさん声を出して歌ってくれたので良かったです。 そして乾杯の挨拶を当時の生徒会長にしていただき「カンパイ!!」の声と共に盛り上がっていきました。
今回の企画としてクラスごとに当時の担任の先生から名前を読み上げてもらい、「はい」と返事をしてからステージに上がり揃ったところで先生からひと言いただきまして、最後に記念撮影を行いました。 1組から3組の先生は参加してくれたのですが、その他の先生方は日にちが合わなかったり体調不良や亡くなった先生もいたので、そのクラスは参加していただいた先生に代わりをお願いしました。 先生かのメッセージでは、私たちが最初の担任で今年が定年の年になるので声を掛けてもらえて本当に嬉しく思うと話してくれました。 その他の先生方も沢山のエピソードを話してくれて会場は懐かしさと感動でいっぱいになりました。 クラスごとの記念撮影も無事に終わりホッとしたところで、元バスケット部員から顧問の先生を入れて記念写真を撮りたいと提案されたので総幹事と相談して行ってみたら、やっぱり他の剣道部や体操部も言ってきたり、それが終わると、今度は女性仲良しグループが先生を入れて写真が撮りたいと言ってきたりと大変でしたが、みんな楽しそうだったので良かったです。
そして少し座って食事をするこができたのは8時半を過ぎてからでした。 何人かと話をしながら食事をし気がつくともう閉会の時間になっていました。 最後に幹事の代表者から〆の挨拶をいただき、無事に閉会しました。 過ぎてしまえばあっという間の3時間、参加していただいた先生や同級生が楽しそうに帰る後ろ姿を見ていて「無事に終わって良かったぁ」と思わず呟やき今回の同窓会は終わりました。 出来ればまた5年後、そして10年後の還暦の年にもみんなで集まってお祝いが出来たら面白いだろうなぁと思います。
写真は5年前のものです、まだ今回のが手元にないのでごめんなさい。
毎年恒例の新春カンファレンスとは、店舗運営している方々が、同じ悩みや、目標抱える仲間と出会い、豪華ゲストからのここでしか聞くことができない情報、この先続くコミュニティの場です。
今年も最初から面白かったです、昨年は“3Dプリンターの発展で世の中はこう変わる”っ
て話でしたが、今年は人工知能の進化によってもたらされる未来と、購買行動の変化についての話で、スーパーコンピュータを制作している社長の斎藤元章氏の講演でした。 すでに2017年の婦人画報でも【人工知能があぶりだす“人間らしさ”】をテーマに何ページも特集を組んでいます。 このまま人工知能が進んでいくと遅くても2045年、早ければ2030年には1台のスーパーコンピュータ(人工知能)が地球上全人類の知性の総和を上回るそうです。このときを【特異点】といいます。 こうなると医療では診断能力が著しく上がり新しい病気の発見ができるようになります。 生殖、成長、老化、進化の概念が変わり生命体のリデザインが起こるそうです。 すでに人口太陽をフランスの地で日本を含め各国から優秀な人材を集めて作っているそうです。 もし人口太陽が完成すれば世界のエネルギー問題が解消され食糧も低コストで栽培され米は月に2回でき年間24回収穫できるようになるそうです。 平均寿命も1400年には30歳、1800年には38歳、1900年には48歳、2015年83歳、このままいけば100歳を超えるのもそう遠くはないような気がしました。
2つ目の講演は【九州パンケーキ】を宮崎県を中心に九州だけの素材をだけを使って毎日の美味しさと笑顔の食卓が
作りたく始めた村岡社長と、食べるスープ “Soup Stock Tokyo”の遠山社長との対談でテーマが~僕たちの大切にしていること~でした。
村岡さんは約50年前お寿司のレタス巻き、ソースを使って食べるお寿などを考えたお父さんの長男として生まれ、子供の頃から裕福な暮らしをしていてあとを継いだ後も順調でしたが、度重なる九州を襲う震災で資産を無くしどうしていいかわからないまま九州を周っているときに“子供が初めて作る料理パンケーキ”に出会い始められたそうで。数年前から台湾にパンケーキが食べられるお店を出店しテレビにも取材され2週間先まで予約でいっぱいの繁盛ぶりです。 またボランティアで台湾の50人に満たない小学校でパンケーキ作り体験を毎月一回行っています。 少人数の小学校は300校ぐらいあるので年間12校で約30年はかかるのですがパンケーキを食べたことがない子供たちが自分で作ったパンケーキを食べるときの笑顔は毎回感動させられるそうです。 なかにはお兄ちゃんや両親に食べさせたいと作ってサランラップに包んで持ってかえる子供もいて商売よりも作るほうが楽しくてやめられらいそうです。イベントの映像で楽しそうに作ったり食べたりしている子供達の説明している村岡社長が本当に楽しそうに話している姿をみて、ここにくるまでは色々と大変なことがあったと思いますが、想いを形にしたときの喜びを知りました。
遠山さんは三菱商事に勤めていて一度は社長になってみたかったのとアーチスト的感覚だと「ファーストフードの店って何でこうなっちゃうの??本当はもっと違うんじゃない?!」という想いが街を歩く度に膨らんできて我慢できなくなったので、当時取引があったケンタッキーに研修に行かせていただき数ヶ月目に“スープを美味しそうに飲んでいる女性の姿を見て” これだ!!と思ったそうです。 そしてスープ専門店の企画書を会社にあげたけど却下されたので自分で会社を起こしたのがスタートだったそうです。 今は都内だけでも30店舗以上の店舗数です。 そのときに提出した企画書が今ではバイブルのようになり、ぶれない営業をしているのはかなり細かいところまで書いてあるからそうです。 新しいことをするときは頭に描いているだけでは足りなかったりミスが生まれる可能性が高くなるから書かないとダメで、遠山さんは会社やブランドを人物に例えて考えてからそれを店舗イメージなどに落とし込んでいくそうです。 また商社勤めの頃から気に入った作品の個展などを個人的に開催していたこともありアーテイスト系の感覚みたいです。 やりたいことがあると“やりたいこと4行詩”に落とし込んで考えてみる。 それは①やりたいこと(出会い、トキメキ)、②必然性を根っこにして(自分のこと)、③意義を加える(外のこと)、なかったという価値を創る(オリジナル)。 これをSoup Stock Tokyoで考えると、①スープという共感、②社長になってみたい、③ファーストフードはなんでこうなっちゃうの、④自分たちで作った。となります。 他にも驚いたのが一種類の本だけを銀座で5坪のスペースで売り続けている本屋さん。SNSやネットなどの書き込みで今では世界的にも有名な本屋さんの一つになっている。 瀬戸内に一日一組しか泊まれないレモンホテルなどにも出資したりしている。
私もまだ夢のような構想がいくつかあるので、それを形にしていくために書いていきひとつひとつ実現していきたいと思います。